こんな医師がいた!こんな日本人がいた!医師として、人間としての信念に生きた4人の臨床医たち。苦境にあっても「患者を救いたい」「真実は何か」という一念が彼らを支えた。その不屈の行為は、やがて共感を得、壁を破り、道を拓き、そして世界が彼らを認めた。現代の日本人が忘れかけている思いやり、使命感、勇気を持ち続けて波乱の生涯を送った、日本が誇るべき人物たち。
<目 次>
永井 隆 浦上の聖人 ―自らの被爆を顧みず多くの患者を救済
荻野久作 世界の荻野 ―受胎の神秘「排卵と月経」の謎を解明
萩野 昇 富山のシュヴァイツァー ―イタイイタイ病の原因を究明し患者救済へ
菊田 昇 世界生命賞受賞 ―胎児を守るための「赤ちゃん斡旋」の真実
永井 隆(ながい・たかし)
長崎医科大学附属病院で被爆。重症を負いながらも出血多量で倒れるまで200人以上の市民の命を救った。白血病に冒され病床につくが、長崎の悲劇を繰り返さないために病床で執筆活動に打ち込む。『長崎の鐘』『この子を残して』など多数の著書は、敗戦に打ちひしがれた国民の気持ちを清らかな文章で奮い立たせ、ベストセラーとなった。その印税を長崎の救済・復興にあてる。感銘を受けてヘレン・ケラーほかが海外からも来訪。
荻野久作(おぎの・きゅうさく)
排卵は次の月経が来る16日から12日前の5日間に起きる――人体の神秘を解き明かしたこの荻野学説は、子どもを授かりたい患者の言葉からヒントを得た逆説の発想によるもので、これを用いた避妊は、ローマ法王庁が認めた唯一の避妊法となった。彼の名は研究者として世界的に有名ではあるが、各大学からの教授要請を断り、新潟市民のために90歳まで患者の診察を続け、臨床医として尊敬に余りある人物といえる。
萩野 昇(はぎの・のぼる)
富山県の奇病「イタイイタイ病」を発見。患者の悲痛な叫びを聞きながら、孤独のなかで原因究明に人生を捧げた。イタイイタイ病を神岡鉱業所の排水が原因と発表した彼の研究は、田舎医師の売名行為と白眼視され、医学界からも非難された。四面楚歌のなか、アメリカで研究データが認められ、一転して萩野昇の学説が正しいことが証明された。イタイイタイ病は日本で初めて公害病と認定され、それまでの産業優先の国政を環境優先の国政へと大きな転換をもたらした。
菊田 昇(きくた・のぼる)
昭和48年4月、赤ちゃん斡旋が社会的問題となった。胎児の生命を守るための人道的な行為は裁判で敗訴となったが、昭和62年の民法改正において「特別養子制度」が導入され、また彼の持論である人工中絶期の短縮が法制化された。有罪とされた菊田の行為を正しい方向へと変えたのである。マザー・テレサと会見して生命に対する考えが一致し、第二回「世界生命賞」を受賞した。
<著者略歴>
鈴木 厚(すずき・あつし)
1953年 山形県に生まれる
1980年 北里大学医学部卒業
1984年 同大学大学院修了。医学博士
北里大学捐院ほか勤務
1990年 川崎市立川崎病院勤務
同病院地域医療部長、内科医長
北里大学医学部非常勤講師
2013年 川崎市立井田病院