ー理想のインスリンを求めて
トルステン・デッカート[T.Deckert]著
大森安惠・成田あゆみ 訳
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糖尿病を「死」から「生」の問題へと変えた男。
インスリンの発見・実用化まで、糖尿病患者は悲惨な運命をたどっていた。極端な食事制限以外に方法はなく、やせ衰えて数年で死亡するか、壊疽による四肢の切断や失明、腎不全という結果が待っていた。
1922年にカナダのトロント大学で発見されたインスリンは、デンマークでハーゲドン中心に生産が開始されると、翌年3月には、生存の希望の薄い患者たちに投与され奇跡的な効果が現れた。
ハーゲドンは以後、より実用に適したインスリンの研究・生産に邁進する。その間、初の血糖測定法の開発をはじめ、今日に至る持続型インスリンの開発など、糖尿病患者の希望となる画期的成果を上げる。
インスリン製剤に殺菌剤を使用しなかったこと、医師の守秘義務を堅持し法改正に貢献したこと、第2次大戦中はナチスに追われる友人・同僚を援助し、自らも占領下でドイツ軍とわたり合うなど、医師として、人間としての理想と倫理を貫く。大量のインスリン採取を期待して捕鯨の実験工場船に乗り込み、自ら自家用機を操縦し各地を飛びまわるなど、スケールの大きな「行動する巨人」の人物像が、デンマークの状況とともに描かれる。
中間型インスリンNPH(Neutral Protamine Hagedorn)や日本糖尿病学会〈ハーゲドン賞〉に名を残す人物の伝記で、糖尿病治療への道のりの真実を膨大な資料から明らかにした書。医療関係者をはじめ、糖尿病治療中の患者さんにも勇気をもたらす。
<目 次>
1 背景(1888年以前)
朝鮮半島沖での遭難/母マリーについて/ベスルンテでの少女時代/父イェッペについて/
海へ/フォルケホイスコーレとの出会い/フォルケホイスコーレ船スカルム・ヴィ号/
イェンス・ラウリッツの死
2 幼児から青年時代(1888~1915年)
少年時代の旅/モルトケ伯爵夫人の学校/ヘッセラガー・ギムナジウム/「赤い石」の家/
サロモンセン、ヘンリケスの助手として/ヘアニン病院のビールマンのもとで働く
3 ブランテ村(1915~22年)
ミッテとの結婚/一般医として/糖尿病への関心/食事療法/ノーマレ・イェンセンとの出会い/
新たな血糖測定法/デンマークと南ユランの再統合/博士論文/代謝測定器
4 インスリン
インスリンの発見/クライナーとパウレスコ/バンティングとベスト/マクラウド/
コリップ―初めての患者への投与
5 アウグスト・クロー(1922~24年)
アウグストについて/マリー・クロー/ニュ・ヴェスター通りの研究室/米国旅行/
トロント/デンマークにおけるインスリンの生産開始/レオ・インスリン/数々の奇跡/
ダイアスリン/ノーベル賞の人選は間違い
6 ノルディスクインスリン研究所(1924~32年)
エンドルップの工場/トーヴァル・ぺダーセンの解雇/独立組織へ/
ノルディスクインスリン基金(NIF)/「赤い石」の家にて/国有化の危機/父の死/
職業上の秘密に関する権利/英国での訴訟/教授選
7 ニールススティーセン病院――ステノメモリアル病院(1932~36年)
建設/開院/患者と治療方針/H・C・オルセン博士/研究
8 プロタミンインスリン
プロタミンインスリンの開発/ミス・イングリッド・ウッドストラップ/クラルップ博士/
ノーマン・イェンセンとの仲違い/特許取得/ジョスリンによる賞賛/
亜鉛プロタミンインスリン(ZPI)
9 ハーゲドン時代(1936~44年)
英国王立医学会/拡張工事/リトアニア工場/スポーツパイロット/五〇歳の誕生日/
ノボ社との対立/クローとの対立
10 戦争(1939~45年)
自家用機の没収/リトアニア工場の放棄/ヘミングセン/スタウァビュの家/
ステファン・ユルゲンセン射殺される/「新たな日を喜びもて」
11 再建
戦争の影響/新手法の導入/海外資産の解除/プロタミンインスリンの結晶化/
米国への長期出張/母の死/南極海への調査航海
12 敬意
米国での特許解除/ヘデゴーの新工場/NPH(Neutral Protamine Hagedorn)/
ポールセンについて/ローゼンベルクについて/ノボ社の急成長/新たな市場へ/
トーマス・ローゼンペルクの退職を巡って/新研究所の建設
13 病気と死
パーキンソン病/運転を諦める/最後の旅行/ハーゲドン賞――車椅子生活へ/
代理人の選定/死/遺言/
<著者紹介>
トルステン・デッカート(Torsten Deckert)
1928年3月7日、ハンブルクにドイツ人の父とデンマーク人の母から生まれる。
最初は音楽家として, 1948年にコペンハーゲンの王立音楽アカデミーを卒業。
1956年にコペンハーゲン大学医学部を卒業して医師となる。専門は内科学、内分泌学。1964年医学博士。1969年-72年に、コペンハーゲンのフレデリクスビャウ病院で内科部長として勤務したのち、1972年-95年にはゲントフテのステノ糖尿病センター内科部長を務めた。著作・国内外の受賞は多数。
<訳者略歴>
大森安惠(おおもり・やすえ)
高知県安芸市に生まれる
1956年 東京女子医科大学卒業
1957年 同大学第二内科入局。以後、糖尿病の臨床・研究に従事
1981年 同大学糖尿病センター教授
1991年 同センター所長兼主任教授
1997年 定年退職、名誉教授。済生会栗橋病院副院長
第40回日本糖尿病学会で女性初の会長を務める
2002年 東日本循環器病院(現・海老名総合病院)糖尿病センター所長